キノコの自省録

日々適当クリエイト

ビザンチン将軍問題のどうでもいい小噺

最近プライベートが忙しくて時間が取れないため、ブログネタもなく更新が滞っていましたので、一つしょうもないお話を。

ビザンチン将軍問題

ブロックチェーンの技術などを追っかけて行くと、ビザンチン将軍問題というコンセンサス問題に出くわすことがあると思います。 今回のエントリーはこの問題自体のお話ではないんですが、一応簡単に解説を。

一堂に会して多数決を取る場合は下のような感じで決を採るため、全員が同じ結果を認識します。

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ところが、決定権を持つ人が各所に散らばっている場合、コンセンサスが正しくとれない場合があります。

例えば、意思決定権を持つ人が5人いて、賛成グループと反対グループが2:2に分かれたとします。つまり、残りの一人がキャスティングボートを握っています。 そして、決定権保持者はバラバラな場所にいて、直接的に意思確認ができません。

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この最後の一人が二枚舌外交をやらかして、Yes側にはYesだよと言い、No側にはNoだよと言うと、 Yes側の人たちは賛成多数で可決したと思って賛成行動をとりますが、No側には否決されたと思い、否決の行動をとります。

結果的に、お互いが本当だと信じている事実が異なるため、衝突が発生します。

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この問題を、意思決定権を9人の将軍が持つとして、攻撃か撤退かを決めるとしたモデルで説明したのがビザンチン将軍問題です。

ビットコインブロックチェーンでは、ブロックチェーン台帳の記録があっちとこっちで違うよ、とならないように、ナカモトコンセンサスという仕組みを採用しています。

将軍

今回はこの問題自体の話ではなく、「将軍」についてです。この問題を説明したブログなどを巡回すると、

  1. オスマン帝国に包囲されたコンスタンティノープルビザンチン将軍たちが、攻撃か撤退かを決める
  2. ビザンツ帝国を包囲した敵軍の将が、ビザンツ帝国を攻撃するか撤退するかを決める
  3. 敵の都市を包囲したビザンチン将軍たちが、攻撃するか撤退するかを決める
  4. 敵の国を滅ぼそうとするビザンチン将軍たちが、攻撃するか撤退するかを決める

という感じで、バリエーション豊かです。一体どれが原典と同じなんでしょう。

答え3

結論を言います。答えは3です。

以下は原典です。

https://people.eecs.berkeley.edu/~luca/cs174/byzantine.pdf

We imagine that several divisions of the Byzantine army are camped outside an enemy city, each division commanded by its own general. The generals can communicate with one another only by messenger.

敵の都市の外でキャンプしてるビザンツ帝国軍によるコンセンサス問題ということです。これでスッキリ。

うーん、本題の方が短くなってしまいました。

ビザンツ帝国とは

こちらも一応説明を書いておきます。

ビザンツ帝国は別名東ローマ帝国で、前身は古代ローマ帝国です。古代ローマ帝国も3世紀になると、広大な土地を一人の皇帝が治めることが段々と難しくなり、分割統治システムが導入されるようになりました。最初は四分割(テトラルキア)だったのが、コンスタンティヌス帝の亡き後あたりから、東と西の2分割システムに落ち着き、395年には完全に分離しました。その東側が東ローマ帝国です。西ローマ帝国側は476年に滅亡しましたが、東ローマ帝国は1453年のコンスタンティノープルの陥落まで続きました。

そんなわけで”ローマ”という名前がついてますが、東ローマ帝国の首都はコンスタンティノープル(今のイスタンブール)で、ローマが支配下にあったことはほとんどありません。領土は基本的にバルカン半島ギリシア周辺)とアナトリア半島(今のトルコ)なので、当時はギリシアの影響が大きく、ギリシア人の国という見方もされています。オスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落は、キリスト教国家を揺るがす大事件でしたが、日本にとっても結果的に大きな影響を与えました。主なところでは鉄砲伝来と日露戦争です。はあ?と思う方は調べてみると面白いです。

ちなみにオスマン帝国がのちにトルコ共和国になるのですが、トルコ系民族、要するにテュルク系の人々は、ルーツがもっと東側にあるんですね。トルクメニスタンや、中国共産党による人権蹂躙が話題となっているウイグルあたりですね。オスマン帝国が東ではなく西を目指したため、現在の位置に落ち着いているんですが、地図を眺めるとこの辺もちょっと面白いです。